東大生、うつになる。

私、東大卒なんです。
そしてうつ病になりました。
【導入】
自分の境遇を誰かに伝えることによって、どこか偏見を持たれることを恐れていた自分がいました。
でも、そろそろ自分と向き合う時間をしっかりと持つべきだと思い、このような自己紹介を改めてさせていただきます。
こんな始め方で自己紹介させてください。
(余談)
読み終わるのに10分弱くらいかかっちゃいます。すみません。
1.【家族構成】
私の家族構成。
父親 → 尺八奏者。紫綬褒章もらったりしていてすごい父親。
母親 → 箏奏者。NHKの邦楽育成会みたいなもので成績優秀者になるくらい実力すごい人。
姉 → 社会人でバリバリ働いていて純粋に尊敬する人。
なんだろう。
少し特殊?な家系だと思う。
誰に聞いても最初の反応は
「尺八?なんか凄そう」
そりゃそうだ。
私自身普通ではないことはわかっていた。
わかっていたつもりだったけど。
目次
- 【家族構成】
- 【将来の夢】
- 【中学生】
- 【高校生】
- 【大学受験勉強】
- 【東大から東工大へ】
- 【東工大に入学】
- 【東大の大学院に入った】
- 【そして就職】
- 【うつ病になった】
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2.【将来の夢】
小学生の時、ハリーポッターが大好きだった。
大好きだったあまり、小学6年生にもなって将来の夢は「魔法使い」だった。
なんとも現実味のない子供。
今の夢はもちろん「魔法使い」ではない。
一生健康な体を作り上げること。
ある意味、魔法で治したい。
3.【中学生】
中高一貫校に入学。
部活動を何かやらなきゃみたいな雰囲気になって、新歓にたくさんいっていた時、軽音部が目に止まった。
小さい頃から父親に半強制的に尺八を習わされていたので、そこから解放されたくて、別ジャンルの音楽に触れてみたかった。
言わば、可愛い反抗期。
軽音部の新歓に参加。
その時のボーカルの人がちょっと音痴。いや結構音痴。
軽音部は違うってなった。
次に弦楽部。
バイオリンとかチェロとかそんな感じ。
もちろん無理。みんなお金持ち過ぎ。
最後に吹奏楽部。
先輩たち優しい。楽器を吹いて音が少しでも出ればなんでも「凄い!」って褒めてくれる。
クラリネット、サックス、チューバ、フルート。
たくさん吹いた。たくさん音出た。初めて「尺八やってて良かった」って思った。
トランペットだけ音が出なかった。
悔しかったからトランペットを希望して入部した。
それが計算違いだった。
父親も学生時代トランペットやってた。
めっちゃ喜んでた父親。
今思えば可愛い父親だけどね。
4.【高校生】
なんやかんやで部長になった。
半分成り行きだった。というか私以外にできる人がいなかった。やりたがる人いなかった。
そして、人生の一番最初の挫折を味わった。
今まで仲良かった同期たちから半分イジメにあった。
といっても育ちの良い人が多かったからドラマで見るようなイジメではなく、もっと幼稚で姑息なイジメだった。
心が折れた。そんな時は母親に励ましてもらっていた。
「笑う門には福来る!何されても笑顔でいなさい!」
その通りにした。ぎこちない笑顔が特技になった。
5.【大学受験勉強】
ちょっとした進学校だったこともあって、周りは医学部か東大かという選択肢でいっぱいだった。私もなんとなく東大を目指し始めた。芸大とかは?という選択肢は専らなかった。何故なら音楽の才能が私には無いから(父親曰く)
勉強は嫌いではなかった。勉強以外何もしなくて良い受験生っていう立場は結構ありがたかったかもしれない。
もちろんストレスは溜まっていたけど、受験勉強は粛々と進んでいった。
この頃、将来の夢を考えるようになった。進学に影響があるからね。
「魔法使い」にはなれないとその時はわかっていたので、何か現実的なものを考えないといけない。
そこで、建築学科に進むことを決めた。
理系科目が得意だったので、理系&アート(音楽とか)では建築学科が一番しっくりきた。
ちなみに理系科目は得意だったけど、物理とか化学とか数学とかには全く興味がなかった。なんと贅沢な。
【6.東大から東工大へ】
進路変更した。建築学科に行くのがよりスムーズな大学に志望校を変えた。
父親に止められた。1時間説得させられた。父親はおじいちゃんが東大卒の建築家だったこともあって、東大に進んで欲しかったらしい。
文系科目が壊滅的にできなかったので、「無理です。」の一言で制した。
7.【東工大に入学】
無事入学。そして無事建築学科へ。
建築学科は理系の中では有名なのだが、徹夜を普通でするくらい大変。私も設計課題の提出前1週間は平均睡眠時間は2時間だった。よくやってたなあの頃と思う。
学部3年の末に更に進路を問われる。研究室の選択だ。
私は建築には興味があったが、設計も設備も構造も何もしっくりこなかった。ここでも将来の夢を見失ってた。
(やっぱり魔法使いかもしれない。)
結局、自分の曽祖父である建築家の研究をするということで、建築史の研究室にいった。
そしてコロナが始まった。研究室にはほとんど行かず、家の中で悶々と研究していた。
ああこのまま大学院に行くのかな。と、なんとなく生活していた。
研究室の教授に言われた。
「今の研究進めるなら東大の方が良いよ」
東大に行くことにした。
8.【東大の大学院に入った】
受かっちゃった。これで私も東大生。
正直浮かれていた。満足しちゃってた。
この時期はすごく忙しかった。
研究、バイト、課外活動、就活。
休む暇はほとんどなかったのでは?という感じ。
ここでまた進路に悩む。
将来の夢、まだ魔法使いだ。
なんとなくで就活を始めた。当時人と話すことは得意だったので、面接で苦労することもほとんどなく、色々な業界を軽く見た。結局不動産関係の仕事に就くことにした。少しでも建築の時の知識を活かせれば良いと思っていた。
なんだろう。つらつらと書いてきたが、私の人生って挫折無いかも。それが問題だったのかな。今思えばね。
9.【そして就職】
修論も提出でき、無事東大を卒業。不動産会社に就職した。
入社日。先輩たちが歓迎も兼ねて飲みに連れて行ってくれた。4次会までやった。家に帰って寝れたのは朝3時半。
無理。
そんな生活が6月末くらいまで週3くらいで続いていた。これ過労死ラインらしい。会社を辞めてから気づいた。元々体力には少し不安があったので、この生活が続くとなると結構不安だなと感じていた。
そしてしばらくしてから、夜眠れなくなった。どれだけ疲れて帰っても眠れない。日によっては徹夜して会社に行くこともあった。そうなると会議中に寝てしまう。取引先との会議中にも寝てしまっていたこともある。すごく心配そうな目で見られていたのは忘れられない。
10.【うつ病になった】
入社から1年後、医者から「休職してください。」と言われた。うつ病だった。
即日、診断書を持って上司に渡して次の日から休職。その上司はすごく優しい人で、「ゆっくり休んでね」と言ってくれた。少し救われたような気持ちだった。
休職してから毎日罪悪感。世間は進んでいくのに、自分は休んでいる。大丈夫なのか果たして。私は社会復帰できるのだろうか。
めっちゃ焦った。逆効果だった。
休職してから1年も経った時。もう会社には戻らなくていいやとどこかで思っていた。
辞めた。
それから今に至るのだが、そこまでの経緯はまた別で書いていこうかなと思う。
東大生、鬱になる
輝かしい肩書き?そんなもの今の私には関係ない。
虚弱になった体と向き合っていく。そう決めたのだ。
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